五木田勉監督のドキュメンタリー映画『キャン的な 何か・・・』を観てきました。
シェアハウスで共同生活をする大学生の人間関係の記録です。
監督も出演者も早稲田大学ということで、早稲田祭での上演会となりました。
会場は教室なので机に向かって座り、前方には懐かしい黒板。窓の外からは学生の演奏する音楽と呼び込みの声ががひっきりなしに入ってきて学生気分。いや、参観日の保護者か?^ ^;
音楽も特別な効果も演出も何もない記録映画ですが、あっという間に引き込まれました。
まずは、男の子が10人も集まるとここまで汚くできるのかー!とオドロキの内部の様子に興味シンシン。
うるさいことを言う大人もいないし、楽しそうじゃん。なんてお気楽に見始めたのですが、いや待てよ、そんなに簡単なものじゃない。
多感な年頃の子達がプライバシーのほとんどない共同生活を続けられるのはなぜなのか?
それがこのシェアハウスの中心人物・キャン君の存在みたいなのですね。
良きも悪きもなんでも受け入れてしまう、ムラムラしてくると平気で顔に出してエロ本持ってどこかに消えてしまう、そんな彼の存在を住人達は「キャン的な何か」と呼ぶのです。
物語中盤でキャン君が連れてきたある人物の登場で、シェアハウスのバランスが崩れていきます。
ギクシャクとしていく関係の中で、じゃあ離れればいいじゃないと思うのだけど、彼らは執拗に相手に思いを伝えようとするのです。
知らん顔してうわべだけ取り繕っていれば波風立たないのに、わざわざ気まずくなるような事に必死で言葉を尽くすのです。
これは若さゆえなのか、彼らの気質なのか、そしてこれは必要なことなのかいらぬことなのか。
深く相手の言葉を聞くこともなくフンフンとあいまいに過ごしてきたオトナの私は、なんだか大いに考えさせられました。
上映後、キャン君と少しお話できたのですが、なんのてらいもなくするりとこちらに入ってくる気さくな男の子でした。
「キャン的な 何か・・・」…なるほど。深いお話だったのですね。
りーちゃんのblogを読んで、すっかり観たような気分になりました。有難う!
なっちゃん、もしかしたら全く私の勘違いで全然違うお話かもしれないよー。
上映会に足を運んでくださって、ありがとうございます。また、映画の紹介をしてもらって嬉しいです。それにしても、ものすごく的確な内容ですね。
私も撮影をしていて、いろいろ考えさせられました。強く思ったのは、「時には、あえてぶつかることも必要だな」ということです。ぶつかることを避けていると、大事な関係を失ってしまうかもしれない。それは、大人も同じですよね。
こういう貴重な体験をした彼らが、この先どんな大人になっていくのか?
5年後、10年後に、また撮影ができたら素敵だな と思っています。
監督っ!!!
コメントに気づくのが遅くて失礼いたしました。
そうですね、大事な関係はごまかして続けるのではなくきちんと向き合ってこそですよね。そうは言ってもなかなか実行できない自分の弱さズルさを実感した作品でした。
私も彼らの数年後を見てみたいです!